書評: 僕たちのゲーム史
4th April 201540年程度のビデオゲームの歴史を膨大な文献から、ゲーム発売当時の状況を振り返った上で考察していく、というスタイルでゲームの歴史が綴られています。
本書の直前に「教養としてのゲーム史 (ちくま新書)」というのを読んだことが本書を読む上で好対照となりました。「教養としてのゲーム史」は教養としてのとするには全体的に論拠がうすく、著者独自による振り返りであるように感じました。これは今回紹介する「僕たちの」が紹介している文献の幅広さと比較してしまうからかもしれません。
さて、「僕たちのゲーム史」の内容は今となっては当たり前となったゲームシステムや、スタイル、ジャンルを当時開発者やユーザがどのような体験を通して切り開いてきたかを丁寧に振り返っている良著です。ここまで膨大な範囲を調査し、分析することはなかなかできることではありませんから、ゲーム史評価において本書を超えるのはかなりのハードルが上がったことだろうと思っています。
本書の流れですが帯にある「スーパーマリオはアクションゲームではなかった!」は、それだけを聞けば何ことかわからないのですが、当時のゲーム雑誌での評価をもとにうまく分析しています。
しかもその2ページの記事の中で、『Beep』はファミコン用ソフト『デビルワールド』について次のように書いています。 「このタイプのゲームは、種々出つくした感がありますが、これはところどころに新しい趣向を採り入れて、十分に楽しめるできばえになっています。」 これはなかなか衝撃的な言葉ですね。僕はまだゲームの歴史を語り出したばかりなのですが、第一章の段階で、すでに特定のジャンルのゲームは「出つくした」と言われているわけです。
このようにゲーム史は常に過剰供給との戦いがあり、その状況下でも創意工夫の中で新しいジャンルが切り開かれてきました。本書はこの創意工夫を当時のゲーム体験に振り返って評価することで何が新しかったのかを丁寧に分析しているところが著者の主張をより明確に裏付けています。
ゲームの歴史を振り返ろうとするとき、ヒットしたゲームがあってそれらについて単に機能とかゲームシステムといった事実としてわかりやすい特徴をもとに分析したのではこのような裏付けをつくることはできません。
ゲームの歴史という比較的我々が慣れ親しんで、体験し、よく知っている分野であるからこそあるジャンルのゲームがどのような経緯で評価されるようになったのか、知るのは難しいことです。あるいみゲームの歴史という物語の結果を我々自身がよく知っていることもあって、なあんだそんなことか。と思うことが多かったり、拍子抜けするかもしれません。
それでも本書全体を通してみれば拍子抜けすると言うよりは、子供から歴代遊んできたゲームを思い出しながら、その面白さを追体験しているような印象さえあります。このため堅苦しすぎず、読み終わった後も気持ちよく、古いゲームでも引っ張り出してみようかなと思える構成になっていているのでしょう。