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Takayuki Okazaki's blog

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はてなブックマーク - re: 多くの人々の視界からPC的なるものは消え去って行くのか

t_yanoさんが「多くの人々の視界からPC的なるものは消え去って行くのか」というエントリでおもしろそうなことを書いているのでそれについて個人的な考察。最近、仕事で扱う主なターゲットがサーバから携帯になったこともあって、この手の思考実験は通勤中などにほぼ毎日考えています。その中でも最近一番気になっている主張が、MITの前田ジョンという人の「コンピュータは道具ではなく素材である」という考え方。
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3年ほど前にパソコン(iBook)が壊れた時には、3週間ぐらいパソコンも使えないし、インターネットも(家では)にできない状態になって、そのとき何に困ったか思い出してみます。過去のデジカメの写真がみれなくなったとか、ブログが書けない、という程度の不便はあったものの、他は特にさしあたって困ったこともありませんでした。昨年は携帯が2週間ほど使えなくなって、そのときに困ったことといっても特に思い出せません。普通の生活をする上で、携帯もパソコンもあまり重要な位置を占めていなかったということが当時はっきりと分かったことだけは覚えています。
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必要不可欠に思えていた道具が、いざ使わなく(or 使えなく)なってみると、最初の数日は不便を感じるものの、2週間も経てば別に必須ではなかったことに気づく。使わなくなって久しいものでは、ウチでいうとテレビ。昔はテレビっ子だったけれど、もう何年も家ではテレビを見てない。代わりにラジオを聴くようになったけど、この間ステレオが壊れてしばらくラジオも聴けなくなったときも特に支障がなかった。たぶん、PCとか、携帯とか、テレビは生活スタイルという一見安定的なシステムに組み込まれた素材の一つなんじゃないだろうか。冷蔵庫に残ったあり合わせの素材でもおいしい料理が作れるように、あり合わせのガジェットで生活スタイルを作り上げていく能力はきっと多くの人が持っているんじゃないかなあ。
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一方、生産システムとか、商業的に使われる意味においてのコンピュータは私たちの生活スタイルを支えるコンピュータの意味とは全然違っていて、無くなったり使えなくなると仕事が成り立たなくなることがほとんど。これは、今日コンピュータで行っている作業を、人手による作業に置き換えた場合にコスト上、ビジネスが成り立たなくなるまでに状況が変化しているからなんでしょう。

VISAがオーストラリアでやっているCMで、技術進化が20年前で止まった世界、というのがあります。タイプライタを持ち歩いたり、一抱えある大きさの電話やテレビを持ち歩いたり。20年前の道具を、今風に使うとどうなるかというシミュレーションでとても興味深い映像ですね。20年前、テレビを電車の中で見るということも無かったし、電話も持ち歩くのではなく、探したり借りるものだったのが技術進歩によって利用シーンが広げられたことを再認識することができます。AppleによるiPod発表の時、スティーブジョブズが、iPodは1,000曲も入るポケットサイズのプレーヤで、1,000曲とはあなたが持っているほぼすべての音楽です。と言っていました。確かに、僕が当時持っていたCD/DVD合わせても1,000曲に満たなかったと思います。たった7〜8年後の今では手元に1,000曲を遙かに超える楽曲やPodcastといったデータが手元にあって、それを納めきることができるiPodのようなデバイスや、携帯電話が無理のない価格で手にはいるようになりました。
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音楽一つをみてもテクノロジーの進歩と、Appleをはじめとする様々な企業による「仕掛け」によって私たちの価値観は確かに変わったし、結果として生活スタイルは大きく変えられました。この傾向は今後も続くでしょう。一方で、しばらく使わなくなったら、必要性をさほど感じなくなるという危うさも抱えているのも確かです。コンピュータを「道具」であると考え続けていると、ある瞬間に、どんなに高性能で安価な道具であったとしても、生活を構成する素材にならないという理由によって使われなくなってしまうという危険に気づかないままになりそうです。PC的なるものが消え去るときが来るのは、代替する何かが現れたときではなく、生活を構成する素材として認識されなくなったときなんでしょうね。

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